頭の螺子が雲を飛ぶ、改

気が向いたときに気が向いたことを書きます。おた話多分多め。たまに絵とか。

この前シャルルの話してからすごい頻度でシャルル聞きまくってるんだけど

それというのも「あ、そういえばアンさんが歌ってたよな~」で

アンさんvirを聴きまくっているのです。

その流れでBlessingとかもまた聞き直したりしているんだね!!(笑)

やっぱりボカロカバーも良いよなあ・・・CDでも投稿でもアンさんの歌が聞けてなんて贅沢なんでしょう。

 

少し前までは、「イベントとかも全然いけんし、放送も最近よう見んし、自分・・・」って気持ちとか、「追いかけてる人すごいなあ・・・うらやま・・・」とか、「うぉぉ自意識!自意識!!」とかってなって、なんか「ファンとは」みたいに若干の悩み?みたいなの抱えたこともあるが、今はなんかすごい良い感じで好き好き言ってるなあ。

前までは、「追いかけきれてないのにツイッターで騒ぐのうしろめた・・・」とか「いや、知った風なことを言うべきじゃないやろ自分」みたいな気分ちょっとあったんだけどね。

多分その都度、ブログこもって「やっぱり好きだ!!」みたいに書いたり、友達にもやもや喋ったりしてたからだんだん整理されてきたんだろうね!

もうなんていうか、「相対的なもんじゃなくて絶対的なもん」だと、正直に認識しようと、開き直ったからだよね。

他と比べてのアレではなくて、自分の中の対象化された神格存在というとらえ方をしているというか・・・(突然の電波)

「自分は結局何も知らないので何も語るべきじゃない」じゃなくて、「距離感を自覚した上で好きなのは間違いないから自分の感じるまま、語りたいままに語ろう」に開き直れたところがあるよ。

自分の中で、この「距離感を自覚した上で」というのがポイントだったりするので、ツイッターとか見すぎると、あたりまえだけどそうでもない空気とかもあってそれに「違うだろ~~~ウ~~ン」ってもやったりもしてたけどこれはもう、前にも書いた気がするけど、それはもう他者に押し付けるべき価値観ではないし、では自分にはそういう部分ないのかと言われればそうでもなかったから、それがなおさら葛藤のもとになってたんだけど、今はもう、ことこの界隈に関しては「他人を見ない」でいいやってなれたからな。

この事柄においては、ツイッターを漁るとかは捨てよう、同担拒否とかではたぶんないけど(ツイッターと生身の人と話すのだとまた違うだろうなという予感はあるし)無理はしない、他にいくらでもはしゃぎたおせるジャンルはあるじゃないか!って思えた部分もある。

これ、最近ついったーでも仰ってる人がいたけど沼ジャンルが一つじゃないって、大事なことだなあと、こういう心情を味わうと思うよ~。

「神よ・・・・」みたいに対象を自分の絶対者として讃えるジャンル、自分でも考察するけど他人の考察も見たいジャンル、色々持ってると気持ちが向かいたいときに切り替えられてどれも快適。

あっちこっち軽率な目移り民では・・・って後ろめたくもなるけど、それはそれでいいところもあるんだよな、って最近思えるようになったから。

3次元と2次元でもやっぱり違うとは思うけど、どうしてもその対象の表現から受ける印象は、ファン自身(つまり私)の主観から脱却できないのは間違いないのだから。

 

とか言ってるけど、まあ、そこまで極端じゃないし漁るときは漁るし「へへっ」ってなってるときもあるし、大げさに言うまでもなくなあなあな感じなんだけど!!

色々なジャンルで、「ファンとして情報追いかけるの疲れた・・・」って言ってる人の話とか見たりすることもあるから、自分の思うところをちょっと書いてみたかった。

「自分もその気持ちわかる、同じように思ってたこと多分あると思う・・・けど、今、どうして、その頃より快適に過ごせてるんだろう、どのあたりからだろう?」って気になったもので、まとめたくなったの。

 

適度にまとめたり話したりするのって、たとえ趣味、オタクライフの些細なことであっても、大事なことだと思うんだぜ。

きっとこの思考の深化や拡張(かもしれないもの)は、人間の知の・・・その、なんていうか、うん・・・良いもんだと思うよ!